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成まりブログ芸術・文化

06年11月21日(火)

画家の“生き様”

●夏の花園(油彩・未完)遠藤剛?
 観る者に、正視することを強迫する絵があります。画家・遠藤剛?(ごうき)さん――私が芸術を志して京都へ来た頃にお世話になった先生を、山中わたる京都市議とともに、18年ぶりに個人美術館に訪ねました。

 自然や人体など対象の構造を執拗にとらえようとする太い線のデッサン。構造の追求と、生命感あふれる色彩という、一見対立するものが統一された油彩。すべての作品は現場で制作され、まるで自然との取っ組み合いの産物のようです。

 絵は、気晴らしや娯楽でなく全身全霊の仕事、「生き様であり、告白である」と遠藤先生。…“生き様”という言葉を聞き、「ああ、そうか」と思うことがありました。

 今夏、京都国立近代美術館に人々が行列した「藤田嗣治展」。技巧的でかっこうがよく、人物も猫も「戦争画」さえも器用にこなした藤田の線。しかし何かが決定的に足りない、と私は感じていました。

 その「何か」とは、まさに画家の“生き様”なのだと思います。

 技巧でなく本質、傍観者でなく当事者…あらゆる意味で、二人は好対照かも知れません。

 「芸術とは精神の理想の追求であり、その対象は人生の現実」だと。なにものにも介入されない人間の自由な意志が大事だ、芸術こそ、腐敗した社会で憎悪や国境を超える力をもつと熱弁され、「平和憲法は変えてはならない」との思いもうかがいました。

 以前と変わらぬバイタリティーあふれる鋭い眼が、「君の生き様は?」と強く問うています。71才の生き様に、私も人生と仕事への熱いエネルギーをいただきました。(『京都民報』11/26付 アートdeArt 掲載)

*遠藤剛?美術館・秋季特別展 11/14〜30
 13:00〜19:00(月曜休館) 入館料:大人500円
 京都市下京区猪熊通高辻下ル Tel075-822-7001

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06年11月 5日(日)

ソウル・フラワー・ユニオンと赤旗まつり

 4日、赤旗まつりに行ってきました。

 中央舞台で参院候補者紹介(写真上)があったから、というよりも、私のお目当ては、ソウル・フラワー・ユニオン!!

 …あの阪神大震災後に、救援・追悼の出前ライブや路上チンドンで「がんばろう」「インターナショナル」などの労働歌や戦前の流行歌を唄って被災者を勇気づけた彼ら。私は10年ぶりでしたが、予想以上に心を掴まれ感動をもらいました。

♪〜極東戦線異状なしって感じやね
 この惑星じゃ 今も子どもらが
 虫けらみたいに「ママ」と叫んで死んでゆく
 …この戦争をやめさせろ!
 (イラク・ファルージャ虐殺を告発した「極東戦線異状なし!?」)

 被災地や難民キャンプ地で歌い、9・11やアフガニスタン、イラクに向き合って「非戦」を掲げ、いろんな市民集会に出たり、最近は東ティモール独立記念コンサート出場や『映画・日本国憲法』(ジャン・ユンカーマン監督)の音楽も担当してきたソウル・フラワー・ユニオン。

 さらに今回心を揺さぶったのは、ボーカル・中川敬さんの言葉です。

 「まさか赤旗まつりに出ることになるとは…」と言いつつ「この出会いは一生忘れない」とステージで叫んだ彼が、『しんぶん赤旗』(11/5日付)に「この10年、市民運動系イベントにはたくさん出てきたけど、共産党は初めて。この意味を考えてほしいよ(笑)。大同団結。今しんどい人にとって、よりましな社会をつくっていこうやないかということやね」とコメントを寄せていました。

 …彼らの想いの深さと勇気、“出会い”そのものに、心から感謝します!

(5日付『しんぶん赤旗』より)

 ラッキーなことに、ライブを終えたメンバーと参院候補者が舞台袖ですれ違うという場面があり、私は「ありがとう」と叫びました。後で手にしたCDには、「このアルバムを世界中の『殺すな!』の声の連帯に捧げます」のメッセージ。
 …やっぱり、出会うべくして出会ったのかな。

 大同団結、連帯。私もこの“出会い”は一生忘れない。

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06年10月31日(火)

大山崎町の真鍋宗平さんのこと

 「真鍋さん勝ったで。議員も6人全員いけるで」――10月22日深夜、府北部3会場の演説会を終えて到着した宿に、その明るいニュースは飛び込んできました。

 大山崎町長に当選した真鍋宗平さんは、京都市立芸(美)術大学の先輩。しかも、私の恩師である佐野賢さん(市立芸大教授)と同じ彫刻科に籍をおき、辻晋堂氏や堀内正和氏らのもとで学生時代を過ごしたという話を、選挙応援でご一緒したときに聞いていたので、ほんとに嬉しい!…“ものづくり”に携わってきた真鍋さんを、“まちづくり”のプロデューサーに選択した大山崎町の住民に熱い拍手を送ります。

 “ものづくり”に関わってこの際もう一言。美術・芸術というと「至上」とか「孤高」がイメージされがちですが、実際はそんなことはありません。

 真鍋さんご自身による『みちすがら』にも、学生時代に制作のための作業小屋をみんなで作ったりしながら「前衛的なデパート」の「雑多」な中で考えてきたことや、ウインドディスプレーから始まり、博覧会やまちづくりのプロデューサーとしての仕事のなかでは、多くの人々や組織と「気の遠くなるような会話」を積み重ね、事情を聞き整理してきた経験が紹介されています。

 …なにかをつくりだすという仕事というのは、みんな「コラボレーション」や「セッション」(共産党的に言えば「双方向・循環型」)なんだなと、思います。

 「これらを通じ、ぼくは聞き取りととりまとめの能力を飛躍的に高めた」と真鍋さん。

 住民とコラボレートした新しいまちづくりへがんばって下さい!ほんとうに応援します!
  (『京都民報』11/5号掲載)

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06年10月18日(水)

棚田と鬼の里は元気


 大江町在住の大槻博路さんの作品展は、その名も「鬼の里は元気」。ふるさとを描いた「棚田シリーズ」は、盛られた絵の具が田んぼの土そのもののようです。

 米と酒米をつくる農民でもある大槻さんが、「棚田」を描き始めたは10年程前から。それまでは「画室シリーズ」としてアトリエの中を描いていたそうです。「今から思うと、東京や大阪という『都会』から戻ってきて、何を描いたらええのかわからんかったんやね」。…転機になったのは外国への旅。よその国から故郷を想い、帰郷して、そこに広がる棚田が日本の原風景だと気づいたといいます。

 「田んぼの土を耕す、すると色が変わる。水を張り田植えをすると、またガラッと変わる。稲が育ち穂が出て、黄金色になる。…大地に、絵を描いてるんですよ」との言葉には、絵と同じように、自然と向きあう労働と根を張った生活の実感が滲んでいます。

 そういえば、「文化」という言葉の語源は「耕す」であり、「搾取」の語源も自然に働きかけて成果を抽出するという意味だと聞いたことがあります。マルクスも『資本論』で「自然と人間との物質代謝」といっていましたが、自然に働きかけ変化させ、その成果を得てさらに人間と自然を豊かにする営みが、人間の歴史をつくってました。…だからきっと、絵を描くことと土を耕すことは深く繋がっているんですね。
 大槻作品、タイトルも目を惹きます。「こんなはずでは…」「言うとったやろ!」「ほんまにその通り!」「明けない夜はない」…。意味を尋ねると、「まちを守ろうと運動してきたみんなの想いが凝縮されとるんや」。

 その大江町では、そろそろ地酒作りが本格的になるそうです。“日本昔話”のような棚田と鬼と酒の里を、私もまた訪ねたいなと思いました。 (『京都民報』10/22付「アートdeArt」掲載)

 *大槻博路作品展 10月23日(月)まで ギャラリーかもがわ上京区堀川通出水西入ル上ル)

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06年10月 4日(水)

“夢見る力 いつまでも”


 イラストレーターで絵本作家の永田萠さんの新作エッセイ画集展を、西山とき子さんとともに訪ねました。「ギャラリー妖精村」に一歩入るとそこは“カラーインクのマジシャン”といわれる萠さんワールド。「京都新聞もくよう版」連載の原画が並び、幸運にも、萠さんにお話を聞くことができました。

 「色の組み合わせがすべて。たくさんの組み合わせを持ちたい」と萠さん。各国を旅すると、空気の色が違うそうです。「ひまわりは日本でも咲くけれど、スペインではすっくと立つ花の背景の空がほんとに青い。スペインのひまわりって、日本とまるで違う風をまとっているのよ」という話にナルホド納得。…では日本らしい色は?と尋ねると、「春の桜、雨にあじさい。桜っていうのは、何度描いてもまだ描ききれないの」と言います。

 人を喜ばせ楽しませたい、気持ちを和ませる絵を描きたいという萠さん。実は、絵描きになるきっかけになったのは画家・いわさきちひろの死だそうです。「あの絵を引き継ぎ、子どもたちに届けたくて。子どもは正直です。どんな名声もお金も通じない眼で見るもの」。
 同時に、世の中のいろんな事件に心がゆれると言います。エッセイにも、子どもをめぐる事件やイラク自衛隊派遣の日のエピソードが綴られ、「京都女性九条アピール」呼びかけ人にも名前を連ねる萠さんです。

 「夢見る力 いつまでも」との言葉をいただき、私もなんだか萠さんに心を耕されたような気がしつつ、展覧会を後にしました。 (京都民報「アートdeArt」掲載)

*永田萠 新作エッセイ画集展 11月26日まで(隔週入れ替え)
  ギャラリー妖精村(中京区堺町通り三条上ル)

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06年9月20日(水)

アートは世界と人生そのもの

 「絵は、部屋を飾るために描かれるんじゃない。攻撃と敵に対する防衛のためのたたかいの武器だ」――「ゲルニカ」を描いたパブロ・ピカソ(1881-1973)の言葉です。

 「日韓美術交流展(主催・日本美術会)」会場で、再びその言葉を想い返しました。

 古澤潤さんの油彩。最初、紺の上の白い筆致は織物の模様のように見えました。まん中には焼け焦げたような痕跡。

 …近寄っていくと、あれ?筆致の一つひとつが生きモノのよう。あっ!これは人間だ。手もある、足も、顔もある人間の身体が並べられています。はっとしてタイトルに眼をやると、「IRAQ BODY COUNT V」。

 …では、焼け焦げたような痕は、バクダン、それとも地雷?その地上はほんとうはモノクロでなく、燃えるように真っ赤だったのかも知れない…。


 よく、「いい絵は、遠くから見ても近くでもいい」と言います。絵画に限らず“いい作品”は重層的な要素をもっていると私は思います。

 例えば、美しい花を静かに描写しているのにすごく大きな悲しみがにじんでいたり、くそまじめな顔を描いているのにポップで喜劇的だったり、さらには、こうやって言葉では代弁しえない画家自身のもののとらえ方や人間性が、作品には反映します。それを深く連想させる作品に出会うことが、私にとってのアートの魅力のひとつです。

 ピカソはこうも言っています。

 「芸術家は政治的存在であり、悲痛な、熱情的な、幸福な、世界の出来事にいつも気を配り、そのイメージで自分を完全に形づくるものだ。…豊かな人生そのものから離れて、冷たく無関心でいるなどどうしてできようか」と。

 アートは、世界と人生そのもの、なんですね。 (『京都民報』9/24付「アートdeArt」掲載)

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06年9月13日(水)

河井寛次郎記念館/青野 平画伯


●「私の作るのは試供品と言っていました」と娘・須也子さん
 西山とき子さんと、河井寛次郎記念館に娘の須也子さん(83才)を訪ねました。
 あいにくの雨。けれど記念館に一歩入ると、あたたかく懐かしいような寛次郎ゆかりの調度品と建築に囲まれ、雨音も静けさに吸い込まれていくようです。
 「父も母も明治の人でね。戦争中、食べ物もないのに家のなかを大事に磨いていました」と須也子さん。人間国宝や文化勲章に推されても、寛次郎は「賞をもらうなんてとんでもない。陶芸は総合芸術や。木を切る人も土を掘る人も一生をかけている。その人らにも賞をあげてもらうんなら」と断ったそうです。また「私が作るのは芸術品ではなく試供品だ」と、常に新しいものに挑み続けていたとのこと。
 …民衆の日々の生活のなかにこそ素晴らしいものを見出そうとした、寛次郎らしい貴重なエピソードを聴かせていただき感激しました。

 「戦争はあかんわ。憲法九条は守らないとね」と須也子さん。「でも『共産党』という名前は、ソ連のような感じがするけれど」とおっしゃるので、スターリンの侵略主義や日本共産党をいいなりにしようと干渉してきたことに対して、私たちがずっとたたかってきたことや、「共産党」の名前には、ほんとうの意味で人間を自由にし尊重する社会をつくろうという、私たちの理想がこめられていることをお話しすると、「そうなんですか」とニッコリ。「寛次郎も、周りに生きるものすべてに喜びや感動を見出し、平等に慈しんでいました。がんばって下さいね」と激励をいただきました。

 …「日本共産党」の名前と歴史と理想のこと、もっともっと広く話していかなければ、と感じた一日でした。


●深い色使いのパステル画家・青野平さんの“本業”は弁護士
 続いて、パステル画家で弁護士の青野 平さん真佐子さんご夫妻を上京区の自宅に訪ねました。
 「大学に行くときに、法学部か美大かおおいに迷った」という青野さん。現在、大阪で弁護士をされていますが、パステル画や油彩など毎年の個展で発表しつづけておられます。…パステルというのは“誰でも描ける、簡単”と思われがちですが、発色が美しいだけに実は独特のむずかしさがあるもの。青野さんの画は色をおさえて色の深さを感じさせる素敵な作品です。
 
 「法学者の立場から言わせてもらうと…」と青野さん。小泉「改革」が労働法制をはじめ、これまで積み重ねられてきた法体系をあまりにも急激に変えてしまい、法務省が悲鳴をあげ徹底が追いつかない現状や、小泉首相から安倍氏へ「改憲」発言があいつぎ、国家公務員のトップであるはずの首相の「憲法遵守義務」がなし崩しにされつつあることなど、貴重なご意見をお聴きすることができました。

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06年9月10日(日)

“マンガ家の眼”

 「第七回京都国際マンガ展」(12〜24日京都市美術館)は、おおいに見ごたえありです。
 パウェル・クチンスキーさんによるハトの作品は、「さすが金賞」とうなづきました。…暗い室内で車いすに座るハト。しかしその目にはつよい輝きが宿り、「再び、私が翼を広げて世界に羽ばたく時代を!」との意志が読みとれます。そこが肝心なところですね。ハトが登場する作品や作家はありますが、クチンスキー作品は、単に平和の象徴というだけでなく、踏みにじられながらもなお、その輝きを失っていない国連憲章や日本国憲法第九条の存在が、むしろ世界の人々の「希い」となる時代に入っている、ということまでを連想させると感じました。

 さいとうあやこさん(日本)の、『ハーメルンの笛吹き』を題材にした作品にも注目しました。ねずみ退治をした笛吹きに約束の報酬を渡さなかったために、村中の子どもたちが連れていかれたという童話。さいとう作品では、軍服兵士の後に無邪気な笑顔の子どもたちの行列が続きますが、その道はいったいどこへ続くのか…。実は私もこの話をテーマにした作品を、軍国主義への警鐘という意味をこめて発表したことがあります。いま、「戦争する国」「憲法と教育基本法改悪」という問題がするどく問われるなかで、意味の深い表現だと感じました。

 また、特別展示の審査委員長マーティン・ハネセット氏による「日本見聞録」も、さすがです。山紫水明の国土を政治家やゼネコン業者がブルドーザーで踏みつぶし、コンクリートと公害の都市に変えていく「土建国家」は痛烈です。鴨川の桜の下で浮かれる人々とそこに棲むホームレスとの対比を描いた「お花見」や、「葵祭り」「鴨川でトンビに餌をやる」という「京都」を描いた少々意味深な連作など新鮮。
 全体を通して“マンガ家の眼”のおもしろさとするどさ、そして平和への真剣さを感じとれると思います。“マンガ家の眼”あなたもをぜひ体験してみて下さい。(『京都民報』9/10付「アートdeArt」掲載)

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